53歳 パート 何をどう感じる 私の場合

たぶん、わたしはその辺にいるひとり。 特別に認められた秀でた能力があるでもなし、この世の中で、この時代で、なんとな~くこういうもんかな~という感じで呼吸して生きている。選んでなにかをしているというよりは、流れでそうなっているという感覚。全力で何かに取り組んできた記憶はないが、そうせざるを得ない状況で(という風な思い込み?)変に頑張った時もある。頑張り方が、あっていたかはわからない。それが周囲に、自分に、なにをもたらしたか考える。 たくさんの情報の中で、何をどう考えるか、何をどうするかいつもわからない。 最

この人はなぜ、この人が好きなんだろう

よく考えることです。

 

この人がこの人を好きなのはどうしてなのだろう。

そしてこのことからこの人の、バックグラウンドなどを、あれこれ想像するのです。

 

そのひとが好きだというひとを見ると、あまり、意外だな、ということがなく、さもありなん、この人はきっとこういう人だ。と、納得が、増えていきます。なにを欲しているのかわかるような気がして。

 

 

女の子に、過剰な夢を見てる風なのは、男兄弟のひとだからかな。とか。

寂しがりやだから、寂しがりや同士かな、とか。

DV旦那と、それを支える妻みたいだな、とか。

足りないところを補う、動と、静だな。

ヤンキーだからアットホーム系なのかな、とか。

ファザコンだから、お父さんに似てるひとかな。とか。

 

あくまでも自分目線なのですが、自分の中で、だから、こうだ、を探してしまいます。

 

 

嗜好が意外なひとというのもいて、それは、!!なのですが、それなりに後で納得したりします。納得材料を探していくのでしょうか。

このひとは、こんな感じで、そしてこの人が好きで、ということは、こういうことなのかな。という具合に。

 

それ以外の、好きは、なんか違和感を感じたりするのもあります。ほんとかなあ〜?

好感度気にしてのことか、ただのファッション的な感じじゃないかな。無理してるかな。

 

 

 

街中で、知らないいい感じのカップルを見るのも好きです。

なにが共通項で、なにが、お互いに惹かれてるのかなど無意識に推測してます。

服の共通点や、まるでまったく違う、ということなどに興味を惹かれます。

 

 

山本耕史さんが、SMAPの、香取慎吾くんを好きで口説き落とすのに時間がかかったみたいな話を聞いたことがあります。

 

これ、すごく気になりました。

そのあと、奥さんの堀北真希さんとの、結婚までの経緯を知って、また、気になりました。

なんとなく遠ざけられていた?彼女に、付き合ってくださいを飛ばして、いきなり結婚しましょうと、いきなりプロポーズですよね。このストーリー好きなんです。

 

山本さん、岩のようなものを砕く?ことに、興味があるのかな。

とか、自分にかたくなに注意が来ないものを、自分のものにすることに力を注ぐのかな。とか。(表現が、うまくない)

 

よく存じ上げないのですが、ここだけ、興味を持ちました。

悪い感じより、好感な感じですが。

山本耕史さんファンなら、なるほどな感じのことなのかな。

誰か知ってたら教えてください。

 

ちなみに、わたし、山本さん嫌いじゃないでよ。

でも、テレビでは、「新撰組!」、舞台では「ヘドウィグアンドアングリーインチ」くらいしか、観たことないです。

トーク番組で見たしゃべりは、面白いです。

そしてなんとなくイメージは、、ロシアのスケーターの、プルシェンコと、かぶってます。

そのイメージも、数年前で停まっています。

 

そして彼の嗜好は、ものすごく興味を惹かれました。

これは意外な部類であって、なんでかは、保留のものです。

 

繰り返しますが、どこまでもわたし目線ですからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かに何かを勧めるというのと似ている。

多分好きなんじゃないかな。

 

脇役に似ている人は自覚があるのか

ドラマや漫画をみていると気になるのが脇役です。

脇役の人がきちんと描かれていると、物語の厚みみたいのが変わってくるように思います。

 

脇の人への愛情度合いで、私の作品への評価はずいぶん左右されます。

たった一人の脇役がテキトーな感じの台詞とか言っていると、突然萎えますよ。

 

あんまりドラマとか観ないんですけどね。

 

主人公の脇を固める脇役さんたち。

 

みなさん主人公に感情移入するんでしょうか?

 

多分、多分ですが(違ったらごめんなさい)物語の軸はおおむね主人公の目線に沿って進んでいく形をとっている以上は感情も一緒にある程主人公とともに動いているかと思うのですが、脇役の人の方に気持ちを持って行かれ、あ!私この脇役に似ている!と思うことありますか?

 

例が古すぎてアレなんですが、アンじゃなくて、わたしはダイアナに似てるわ。とか俺はアムロじゃなくてブライトさんに似てるとか、アッシュじゃなくてマックスに似てるとか、ひろみじゃなくてお蝶夫人に似てるとかさ。

脇役に似てる人って、この物語、興味なくないかなあ。

 

 

今気づいたんですが、脇役といえども、物語の主要人物か、本当のその他の人っていうので、違いますね。

 

本当のその他の人もかなり気になります。

主人公に敵対するライバルの陰で、「そうだ!そうだ〜!」とか言っている人や、事件の展開のキーとなる「そういえば〜」的発言をする一瞬しか登場しないような。掃除のおばちゃんのことです。

 

なんでこの人(たち)は、こういう風に言うかな〜  

と、その人の人生や生活を瞬間的に想像してしまうのです。

 

いろんなことに気をとられるので、なかなかストーリーが頭に入ってこないことが多々あります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小麦粉という食材の代替品

代わりにこれ使ってもいいんだ〜

大丈夫なんだ〜

 

お砂糖が、ちょうどきれていたので、代わりに冷蔵庫に余っていた甘酒で、どうにか、間に合わせました〜

んー!おいしー!

 

お料理上級者のセリフなのかな?

 

レモン汁の代わりに、お酢、とか、豆板醤の代わりになんとか、とか。

揃っていないと、出来ない派ですかね。

揃っていないと、やりたくない派も、あるんでしょうね。

 

小麦粉

この大物。

長い年月我々の食生活の大きな役割を担ってきた小麦粉。

 

 

 

これの代わりを探している人、ここのところ?多数いる感じですかね?

 

 

小麦アレルギーとか、グルテンフリーとか。ローカーボとか?

 

ざっくりと、健康の問題ですね。

小麦粉カットしたいの。

 

ここから離れるのはちょっとエネルギーが、必要ですね。小麦粉なしの食は、色々考えなくちゃいけない。

 

うどん、パスタ、焼きそば、お好み焼き、たこ焼き、餃子、ワンタン、パン。

 

これらに変わる食べ物探すの、大変な気がします。

しかもどれも美味しいよね!絶対に食べれないというのじゃなければ、なかなか止めるの難しそうだよね。

これなしで、食べるものあるの?

 

 

じゃ、これらを小麦粉なしで作れればいいんじゃないの?

 

粉のものって、とりあえずなんでも小麦粉がわりになるんだろうか。

 

 

米粉

トウモロコシ粉

片栗粉

白玉粉

タピオカ粉

わらび粉

プロテインパウダー

スキムミルク、、、

 

見た目は似ていても、それぞれ向き不向きがありそうです。

 

 よくわからないので

 

小麦粉抜きのパンケーキのレシピ を料理サイトで、検索してみると、小麦粉の代わりに

 

バナナ

米粉

大豆粉と米粉

アーモンドプードル

バナナと豆乳

おから

きな粉と黒ごま白ごま

オートミール

ライ麦米粉

米粉とバナナ

ココナッツミルクパウダー

 

これらは、小麦粉の代わりの部分に使われているだろう食材たちです。これに卵やら脂分などを混ぜる感じでパンケーキが出来ています!

 

美味しそうなのもいっぱいでした。みなさん色々と工夫されています。

工夫が思いつかないと、出来ないことです。

 

パンケーキができたとしても、これらでうどんや餃子の皮はできそうもありませんね。

 

麺はこんにゃく麺や白滝で代用するとか聞いたことがあります。

小麦の麺とはやはり食感や味が違うのは、別の食べ物ということで諦めなければいけないのかな。

あくまでも、こんにゃくや白滝だもんね。

 

使い勝手の良い小麦粉の加工品がたくさん流通しているってことなんだね。

 

どうしても小麦粉のような味が欲しければ、あとは食品メーカーさんに研究開発を頑張ってもらうということなのかな。

 

こんなに広く使われている小麦粉が問題になるのは、本当に問題ですね。

需要に応じてものは流通するから、これから小麦粉フリーの製品増えてきそうです。

 

 

 

大麦のグラノーラ、美味しかったですよ。

 

   

 

 

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楽天ブックス

 

 

 

 

おたくのおたく

わたし、おたく好きです。

でも、そのおたく好き加減は、おたくとは呼べないです。

 

昔、カルトQというクイズ番組がテレビ放送されていました。(調べたら1991年とありました。)

この番組は、ある特定のジャンルについてよく知っている素人さんが集まって、その主題のクイズに答えて、チャンピオンを競うというものでした。

 

主題は、ビートルズだったり、化粧品だったり、デビッドリンチだったり、東横線だったり、スキーだったり、YMOだったり、ラーメンだったり、東急ハンズだったりといったものでした。

 

 

これ、大好きだったんです。

その主題をわたしが知っていようが、知っていまいが、関係ないんです。

 

その、普通の人たちの常識を超えた知識の深さに、尊敬。その主題に対する真摯な態度と愛に心打たれるのでした。

 

この、世界への入れ込みようは、どこからくるのか。嫉妬すら覚えるのでした。

 

誰かの何かに対する深い愛。

うらやましい。

 

何かを好き、と言えるにはこのくらいじゃないといけない気がして、自分が何かを好き、というには、好きが足りなすぎじゃないかといつも思うのです。

 

だから人に「〇〇が好きなんだ?」と、きかれると、「うーん〜」と、煮え切らない答えしか出てきません。

 

好きは好きなんだけどね〜

の後に、なんか言い訳したくなるみたいな。

 

 

 

 

わたしの方がそれ、前から知っていたよ。

 

人が話題にするものについて、自分が知っていると、ものすごく興奮してしまって、どうしようもなかった(イタイ)ことがたくさんありました。

 

そして、自分の方が!先に!それには!目を付けてました!と、いうことを伝えないではいられませんでした。

 

そして、周りにはたくさん、人が居れば居るほどほど良い。

 

 

今ね、これ止まったんです。

自分の方が前から知ってよ!病。

 

職場で、わたしよりさらにすごいこの病気の人がいて、わたしが話すこと話すこと、それねー!それねー!他の人が持ち出すはなしに、それねー!それねー!

知ってるよー!そうなんだよねー!

とやっている姿を見たんです。

 

それを知っていることが、なんなんだろう。

と、はじめて思いました。

 

これ、自慢ですよね。

 

静かに聴いてる人、どう思ってたんでしょうか。

 

 

素敵な異空間

 

 

憧れの人に、会いたい派?

会いたくない派?

テレビの番組で、グループ分けをして、それぞれの意見を聞く、というのをやっていました。

 

わたしは断然、会いたくない。です。

テレビの出演者も、会いたい派が、大勢で、会いたくない派はほんの少数だったと思います。

 

会いたくない派の理由は、

①実際に会って幻滅するのが嫌。

②又は、自分を良く見せようとしてしまい、変に思われそうで嫌。(自然に振る舞えない)

 

だいたいそんな感じでした。

 

わたしが会いたくない理由は、わたしが、その人と関わることは、空間的におかしなことになる感じがするからです。

 

わたしという人間の存在なんか今までその憧れの人のなかにはない。ということは、これだけの思いをこちらが抱いていても、そんなことは知らない。でも、一瞬、その人は、わたしのことを、なんとなく感知する。

その瞬間、わたしはそこにいる人たちのなかのひとりとなる。

自分で自分のことが、なんとなくクローズアップされる感じになる。

自分が少し照れたような。

その図が、なんか変なのだ。

 

自分が、はづかしい、、、、

 

 

素敵カップルに、心奪われます。

なんかすてきな空間が、広がります。

わたしは、それを見て幸せになります。

その人たちだけの世界がそこにあるのがとーっても羨ましい。そして、すてき。

わたしがそこに関わるのはやはり無しで、その世界を邪魔することはない。

 

 

それと似ているんです。

 

 

 

 

 

夢は願っても叶いません?

 

夢は願っているといつか叶う

 

と、聞いたことあるでしょ?

 

願っても叶わないことたくさんあるでしょ?

 

そりゃ、すでに叶った人に尋ねれば、その夢を願っていたと、答えるんじゃない?

だから、叶うのは、願ったからだ、とはいえると思う。

 

 

わたしの場合

 

思い描いていた理想の生活がありました。

夢です。

 

それは、、、

 

①好きなものに囲まれて、好きな空間で、暮らす。

 

②誰かと深い何かについて論じる(多数でも一体一でも)その図。

 

 

今回は①についてです。

 

これは、わたしのものすごい物欲のことを言っています。

どう言ったものがお好みかといえば、

 

北欧系

伝統の技、現代にシンプルアレンジ系

ナチュラル系

現代の中に昔のものを取り入れる系

職人の工房、道具系

ミニマリスト

自然、地べたと暮らす系

誰かの熱い気持ち、こだわりで作られたお店系

アンティークとか。

自給自足系

狩猟系

サバイバル

 

 

時代や、流行などにももちろん左右されるのだけれど、適当に、羅列。

 

これらを演出するものたち。

ものたちが、欲しい。

 

南部鉄瓶だったり、鰹節削り機だったり、詳細な地図だったり、オリーブの木だったり、ガラスの風鈴だったり、音叉だったり、良い包丁だったり、手編みの籠だったり、無農薬のリンゴだったり、ハクキンカイロだったり、苔だったり、竹のかぎ針のセットだったり、美しいたくさんの写真集だったり、匠の作る素晴らしい座り心地のイスだったり、よく知らない小さなレーベルの音楽のCDだったりします。

 

すごく、欲しいんです。

それは、もう病的なくらいに。

 

欲しいまま、これを好きなだけ手に入れることは、ままならないことに徐々に気がついてきました。

一つ二つのものを買って、眺めて、想像をしていても、理想の生活は手に入りません。

 

誰かが作った素晴らしいものに、⚫️万円、払って買って、なんて、こんな少ないかせぎでは、現実、到底追いつかないわけです。

 

しかも、わたしは、払うばかり。

なにも生み出していないじゃないか。

誰かの創造に対して、支払ってばかり。

 

もうやめよう。

 

わたしの、願うことの間違えは、「モノが欲しい」というところから、一歩も外にでることがなかったことだ。

 

モノが欲しい

   ↓

お金が必要だ  または、他の方策(金持ちの彼氏をつくるとかさ。)を考える

   ↓

お金を得るためには?

と、現実に、繋げることができないといけないことに、気がついていなかったことだと思う。

 

モノが欲しい!!

と、願っていても世の中に自分がどこか、うまく繋がっていないと、これさえ見えないのでしょう。

 

だから、夢は、願う方向が、間違っていると、まず叶わないといっていい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クラスカ