妄想と現実の間 映画JOKERを観た。
少し前、映画観てきました。
主人公の妄想が映像のどこまでなのかということが話題に上がっていると知人が
言っていました。
みなさん妄想しますよね。
日常茶飯事じゃないですかね。
この映画が受けてるとしたら、皆自分の妄想について思いをはせるからというのも大きな要因ではないかと、妄想っ子な私は勝手に思っているんですが、どんなもんでしょう。
考えてみました。
人ははたから見ると、何を考えているかわかりませんよね。
外から見たら、大抵の人達は人間らしく振舞っているわけです。
ご飯を食べたり、お風呂に入ったり。トイレで●して、大抵夜寝て。
どこかで見たようなことをたいがいしています。程度の差はあれ、想像の範囲内。
そして最後は例外なく死んでいくという流れです。
それゆえ皆、自分以外は普通に違いないと思いがちなのではと思っています。
だからと言って、頭の中はわかりませんよ。
みなさん人間というものはどういうものと思っているのか、というのはテレビのドラマなんか見てもある部分は想像がつきます。
といえど、ドラマというのはそんな突拍子もないような脈絡のないお話は作れないし、だいたい面白く思わないんじゃないですかね。筋が通っていないのは。(時々外れたものみたがる人もいるけど)
やはり人々はある程度普通なものを見たがっているけれど、これが普通というラインから、どのくらい、とか。ここが特に、とかいう感じで外れてるとか。そういう部分を楽しんでいるんじゃないのかなと。それでドラマを感じるのはないでしょうか。
ある意味、ドラマを見ることで普通とそうではないというのが、固定化されてしまうのではないのかな。
そういう見方をせよ、という暗黙があるでしょう。
普通から外れてるというのは悲しかったり、楽しかったり。
ま。ドラマ見ない人もいるし、ドラマに求めるものは人それぞれなのでなんともなんだけど。
そんなこともあり皆の頭の中では、これが普通というラインだなという見方を無意識にしていそうと感じているのです。
見せるものは、これがラインだよと突きつけてくるかのよう。
この映画は主人公の妄想の日常を映像で表してしまいました。
程度の差こそあれ、皆、それぞれの妄想の中で買い物をしたり、食事をしたり、バスタイムを過ごしてみたりして、仕事中もそうかも。そんな感じで1日を過ごしているかと思われます。
どこまでがその人かというと、している行動そのものというより、その行動に付随している思いや考え、込みでしょうと思います。
この人はこういうもの身につけているから、こういう人に違いない、とか、陶芸してる人だからこういう人だろう、とか子沢山だからこう、だとか。
こんな判断も今までの経験や誰かの考えに基づいているかもしれませんし、本人こそがそのイメージの中でそれを選んでいるかも知れません。
アーサー、他人とは思えないなあ、というのが感想でした。
皆妄想の変態だし、その妄想の中身はその人の世の中に対する思い込みからくる反動?かな?