53歳 パート 何をどう感じる 私の場合

たぶん、わたしはその辺にいるひとり。 特別に認められた秀でた能力があるでもなし、この世の中で、この時代で、なんとな~くこういうもんかな~という感じで呼吸して生きている。選んでなにかをしているというよりは、流れでそうなっているという感覚。全力で何かに取り組んできた記憶はないが、そうせざるを得ない状況で(という風な思い込み?)変に頑張った時もある。頑張り方が、あっていたかはわからない。それが周囲に、自分に、なにをもたらしたか考える。 たくさんの情報の中で、何をどう考えるか、何をどうするかいつもわからない。 最

夢は願っても叶いません?

 

夢は願っているといつか叶う

 

と、聞いたことあるでしょ?

 

願っても叶わないことたくさんあるでしょ?

 

そりゃ、すでに叶った人に尋ねれば、その夢を願っていたと、答えるんじゃない?

だから、叶うのは、願ったからだ、とはいえると思う。

 

 

わたしの場合

 

思い描いていた理想の生活がありました。

夢です。

 

それは、、、

 

①好きなものに囲まれて、好きな空間で、暮らす。

 

②誰かと深い何かについて論じる(多数でも一体一でも)その図。

 

 

今回は①についてです。

 

これは、わたしのものすごい物欲のことを言っています。

どう言ったものがお好みかといえば、

 

北欧系

伝統の技、現代にシンプルアレンジ系

ナチュラル系

現代の中に昔のものを取り入れる系

職人の工房、道具系

ミニマリスト

自然、地べたと暮らす系

誰かの熱い気持ち、こだわりで作られたお店系

アンティークとか。

自給自足系

狩猟系

サバイバル

 

 

時代や、流行などにももちろん左右されるのだけれど、適当に、羅列。

 

これらを演出するものたち。

ものたちが、欲しい。

 

南部鉄瓶だったり、鰹節削り機だったり、詳細な地図だったり、オリーブの木だったり、ガラスの風鈴だったり、音叉だったり、良い包丁だったり、手編みの籠だったり、無農薬のリンゴだったり、ハクキンカイロだったり、苔だったり、竹のかぎ針のセットだったり、美しいたくさんの写真集だったり、匠の作る素晴らしい座り心地のイスだったり、よく知らない小さなレーベルの音楽のCDだったりします。

 

すごく、欲しいんです。

それは、もう病的なくらいに。

 

欲しいまま、これを好きなだけ手に入れることは、ままならないことに徐々に気がついてきました。

一つ二つのものを買って、眺めて、想像をしていても、理想の生活は手に入りません。

 

誰かが作った素晴らしいものに、⚫️万円、払って買って、なんて、こんな少ないかせぎでは、現実、到底追いつかないわけです。

 

しかも、わたしは、払うばかり。

なにも生み出していないじゃないか。

誰かの創造に対して、支払ってばかり。

 

もうやめよう。

 

わたしの、願うことの間違えは、「モノが欲しい」というところから、一歩も外にでることがなかったことだ。

 

モノが欲しい

   ↓

お金が必要だ  または、他の方策(金持ちの彼氏をつくるとかさ。)を考える

   ↓

お金を得るためには?

と、現実に、繋げることができないといけないことに、気がついていなかったことだと思う。

 

モノが欲しい!!

と、願っていても世の中に自分がどこか、うまく繋がっていないと、これさえ見えないのでしょう。

 

だから、夢は、願う方向が、間違っていると、まず叶わないといっていい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クラスカ