まともな人
自分がどこかまともな人じゃない。と思っている人が、自分を卑下するような、発言をときどき耳にします。
「わたし、おかしいから.、、、」
私はそんな時、
「みんなどこかおかしいし、この人こそ、まともな人 って呼べる人に、出会ったことがないよ」
と、だいたい答えることにしている。
そもそも、私のこの発言、どのように届くかは、その人がわたしのことをどう思っているのかにもおおきく左右されるので、不明です。
なんであなたが、まともについて語れるの?
かもしれないし、まともな人は、いっぱいいるじゃない!かもしれないし。
もともと、あまり深い意味がないのかもしれないし。
まともな人。
この人は、ほんとうにまともだ!
と思った人が、過去にいました。
考えがまっすぐ。
差別しない。
ひとの益を考える。しかし、そちらに傾きすぎもしない。
仕事で、努力。任されたことはできる限りきちんとこなそうとする。おかしなことは、おかしいという。その指摘がズレてない。
失敗しても、対策する。ひとのせいにしない。
明るい。ほがらか。
子供のことを考える。
家のことを考える。
家族を大事にする。
家族が幸福。
家の経済的なことがわかっている。
会話をかわすと、そんな感じにみえました。
理想的な人に思えました。
そのあとひょんなことから、この人がDVを受け、苦労していたことが分かりました。
表面からは、みえていない、わからないことがひとにはあることを知りました。
DVを受ける、というのは、その人がまともかどうかをはかるものではないかもしれないけれど、この状況は、あきらかにまともという概念からは外れることとなるのだとおもいます。
人は、少々、まともだ!と思えないことが見えてもそれは、普通のことなんじゃないかと感じた出来事でした。
返って、何かに対しての武装や、完璧に取り繕っていることが、外から見て、すごくまとも!
という風に見えるのかも。
自分で思う まともを書き出してみると良いかも。
今持っている一つの大きな問題が、浮上するだけかも。
その問題、多分多くの人が抱えてますよ。
それとはちょっと違うかもしれないけれど、良い人と呼ばれるひとがいます。
良いひとに見えるほど、その振り幅は同じほど深く反対側になにかしらの不幸のようなものを抱えていたりすることがあります。
これら、バランスの問題なのだろうか。