53歳 パート 何をどう感じる 私の場合

たぶん、わたしはその辺にいるひとり。 特別に認められた秀でた能力があるでもなし、この世の中で、この時代で、なんとな~くこういうもんかな~という感じで呼吸して生きている。選んでなにかをしているというよりは、流れでそうなっているという感覚。全力で何かに取り組んできた記憶はないが、そうせざるを得ない状況で(という風な思い込み?)変に頑張った時もある。頑張り方が、あっていたかはわからない。それが周囲に、自分に、なにをもたらしたか考える。 たくさんの情報の中で、何をどう考えるか、何をどうするかいつもわからない。 最

売り物はじぶん

結局売るものは自分しかないんですか。

 

去年初めて苫米地さんの本を読む機会がありました。

本の題名は忘れてしまったのですが、そこには、自分にしかできないことをしなさい。

と書かれていました。

 

例を挙げらていましたが、素人のビートルズコピーバンドについて触れていました。

それは彼らにしかできないことだと賞賛していたと思います。

 

さて、その文章を読んだ後、私にしかできないこと?そんな特別な才能ないよ〜

という感想しかなかったです。

それから暫くは、自分にしかできないことって、なんだろう、なんだろうと、自分に問いかけていました。

 

その後、あるきっかけから、刺繍に出会いました。

  

何か閃きました。

 

刺繍には技法?があって、チェーンステッチとかストレートステッチとかあります。

それ自体は多少器用でなくてもできるものだと思います。

さて、チェーンステッチで、布に直径2センチの丸を縫ってみます。

その時に、選ぶ布は何でしょう。糸の色は?何本取りにするのか。布の端にしますか?

真ん中にしますか?

その時に用意するものできるものの違いもあるでしょうが、私とあなたの作った丸は

どこか違ったものになるでしょう。

これが、私にしか出来ないものなのだろう。

それがこの時の閃きでした。

 

人に受けるかどうかはさておいて、なんでもその人がやることは、その人にしか出来な

いことになるのではないですかね。

考えるだけではなく、実際に形にできるかできないかではないですかね。(考え自体をうりものにすることもできる)

 

それをひとまず形にして外に出してみる。

出してみたら、続けてみる。

まずは

3ヶ月。

それから一年。

そこから、何かが生み出されるのではないですかね。

 

 

ええと、なんでそもそも自分にしかできないことをするんだっけ?

 

おそらく生きていくためだ。