53歳 パート 何をどう感じる 私の場合

たぶん、わたしはその辺にいるひとり。 特別に認められた秀でた能力があるでもなし、この世の中で、この時代で、なんとな~くこういうもんかな~という感じで呼吸して生きている。選んでなにかをしているというよりは、流れでそうなっているという感覚。全力で何かに取り組んできた記憶はないが、そうせざるを得ない状況で(という風な思い込み?)変に頑張った時もある。頑張り方が、あっていたかはわからない。それが周囲に、自分に、なにをもたらしたか考える。 たくさんの情報の中で、何をどう考えるか、何をどうするかいつもわからない。 最

家族のためにする家事が好きになれない

家のことをするのは嫌いじゃない。

むしろ好きなのだと思う。

料理や洗濯、アイロンかけ、買い物。季節の服の出し入れ、靴磨き。

浴槽を洗うことだって楽しかったりする。

 

これが、家族のため、と考えるとやる気がぐ〜〜〜んと下がるのだ。

おそらく義務感が支配し始めるからなのかなと思っている。

 

自分のために料理するのは本当に楽しいが、家族に食事を用意することは、時には楽しいのだが、その楽しさは自分自身にするときとは明らかに違うモードだ。

 

家族の中のお母さん、とか奥さんとかという立場が好きになれないのだと思う。

 

これら生活のための作業は、立場的な考え抜きではできないと感じてしまうからだと思う。

変に不機嫌でこれらをこなすような時もあったりする。

 

家事を立派にこなすお母さんというのは、他人の場合はいいな。と思うことはあるのだが、(モーレツに憧れを抱く人たちさえいます。)こと、自分がそうなることに魅力を感じないのだ。自分がお母さん、というイメージに、違和感なのだろうか。

どちらかといえば、自分が、そういうお母さんの子供だったり、旦那だったりするのはいいな〜と思う。

 

理想は家族のみんなが同じように家事をして、それぞれが独立したかのように生活すること。

得意を分担するのはいいが、それを他の人がきちんと分かっていること。

 

これって実現は難しそうです。

他の家族たちの家族観が違うものだから。

 

やっぱり、お母さん、とか、奥さんっていうのが私にはよくわからないんだよ。

 

人の思い込みに対する対処の仕方がわからないとも言えるかな。お母さんだから、奥さんだから、こうするのだろう、というような。

自分で自分を制限してるとも言えるか。

 

それを覆らせる力量もなく、何かなあ、、、を続けてきた。

 

今の環境で衣食住をどうするか。どうやって生活するか。制限が多くあるので、より一般的(その流れになってるので、多分一番経済的)モデルに従うことで落ち着く形になってしまうのかしら。

 

 

最近、家事の分担を口に少しづつ出すことにしている。

一緒に生活しているんだから、家のことは皆がやって当たり前。

これを頑張って、実践します。